昭和の男女の役割・価値観で生きている母・姑と、平成世代の私は、まるで別の国に住んでいる民族くらい価値観が違います。
この記事では「なぜ昭和の価値観が今も受け継がれているのか?」「なぜ理解し合えないのか?」その理由を、私の個人の感想でお伝えします。
もし同じような悩みを持っている人に共感していただけて「悩んでいるのは自分ひとりじゃない!」と思ってもらえたら幸いです。
赤ちゃんの育児でぶつかる昭和vs平成の価値観、「抱き癖がつく」の根拠は?
昭和世代の母・姑に言われる子育てのやり方と、産科・小児科で言われるやり方が違って戸惑う人も多いのではないでしょうか?
私が戸惑ったやり方の違いは『抱き癖』です。
姑に「泣くたびに抱っこしていると抱き癖がつくから良くない」と言われました。
けれども産科・小児科では「できるだけ抱っこしましょう」と言われました。
「抱き癖がつく」と「できるだけ抱っこ」は、いったいどちらが正しいのでしょうか?
結論から言うと、産科・小児科の「できるだけ抱っこ」が今の育児の常識です。
ただし『抱き癖は良くない』が常識だった時代も昭和にあったようです。
『抱き癖』の根拠は、1966年以前の母子手帳に『抱き癖への注意』が記載されていたことと考えられます。
母子手帳から『抱き癖への注意』の記載は50年以上前に削除されていますが、その価値観は、母から子に今も受け継がれているようです。
1966年以前の母子手帳には『抱き癖への注意』が記載されていた
調べてみると1966年以前の母子手帳には、抱き癖への注意が『しつけ』として掲載されていたそうです。
母子手帳の改正の時に削除された経緯があるそう。
1966年に母子手帳から母子健康手帳に名称改正したときに、すでにそれまでしつけとして記載されていた規則的授乳法の奨励、添い寝の禁止、抱き癖への注意が削除されていた
(引用:国立情報研究所『わが国における育児法のスタンダードの形成過程・母子健康手帳の変還を通して』)
母子手帳も子育ての価値観の変化に合わせて変わっています。(参考:厚生労働省)
なぜ母・義母は今も昭和の価値観のままなのか?
母・義母が今も昭和の価値観のままの理由は、
私が思うに、母・義母は母親(私の祖母)に教わった家事や育児のやり方、価値観で生きているからだと思います。
母・義母が思う家庭のイメージも、自分が生まれ育った昭和の家庭のイメージです。
くわえて、その昭和の価値観は、アップデートされません。
企業や学校の価値観は、社会の変化に合わせてアップデートされます。
けれども、主婦や家庭の価値観は社会の変化に合わせて変える必要がないのです。
ですから、アップデートされず昭和の価値観のままなわけです。
昭和世代の母・義母と平成世代の私が理解しあえない理由
母・義母と私が理解しあえない理由は、価値感の基準にしているものがまるで違うところにあると思います。
昭和の価値観 | 平成の価値観 |
---|---|
男女の役割 (男は働き、女は家庭を守る) | 男女平等 |
情報源は自分の母親・生まれ育った家庭、テレビ | 情報源はスマホ、友達、学校、企業、ショップ |
家事・育児にプライドがある | 家事・育児は分担 |
家庭が自己実現・自分の居場所 | 自己実現を見い出す場所は人それぞれ(家庭、仕事、趣味、SNS) |
私の気持ちを変えたアフリカ・マサイ族の世代間ギャップの話
マサイ族のあるドキュメンタリー番組を観て、私は実母・義母を理解すること、理解されることができないとあきらめがつきました。
そのドキュメンタリー番組の内容は、現代的に大きく変わるマサイ族の生活を追ったものでした。
マサイ族とは、ケニア南部からタンザニアの北部一帯の先住民で、牛・羊・ヤギなどの家畜の遊牧をしながら暮らす遊牧民。
しかし今は、遊牧生活をせず、自然保護区・国立公園の中に住んで観光業やガイドをしている人も多いそうです。
都市に出て普通に働いている人もいるそうです。
スマホを持っている人が多くいて、私の中のマサイ族のイメージとずいぶん違うことに驚きました。
そして、私がこの番組で強く興味を持ったのは、マサイ族の家族の世代間ギャップの話です。
伝統的な生活習慣や価値観を重んじる家長。
その家長が注意しても、スマホを持った息子や学校に通っている孫が言うことを聞かなくなったという話です。
息子と孫は、スマホや学校で家長の知らない世界を見て、家長とは違う価値観を持ったんだと思います。
スマホを見ていないマサイ族の家長が、息子の価値観を理解できるはずがないのです。
このドキュメンタリーを観て、私は「このマサイ族の家族の関係は、私と母・義母との関係に似ている」と感じました。
TV番組で世代間ギャップを観ると妙に客観的に見れて、見ているものや価値観の軸にするものが違うと「わかりあえない」と納得できました。
あきらめた今の心境
今まで、実母と義母の昭和の価値観にがんばって合わせて来ました。
心のどこかに
「いつか理解できる日が来るかもしれない」
「いつか昭和の価値観で生きることに幸せを感じる日が来るかもしれない」
「いつか母・義理母が私の価値観を理解してくれるかもしれない」
そんな期待もありました。
けれども、50歳を前にして無理だとあきらめました(笑)。
今は『昭和という異文化で生きる母・義理母』を他民族として尊重できる自分になれたらいいなと思っています。